林賢司
<プロフィール> 1984年古川生まれ古川育。古川中学校、吉城高校と進学。 高校卒業後は、富山国際職藝学院環境科造園コース(2年)に通った後、富山県小矢部市の造園会社に就職。 その他にも趣味のスノースクートで2年間サポートライダーとして活動し、DVD、テレビ等のメディアでも活躍。 (紹介Link:http://www.worldcycle.co.jp/item/38130.html)
<小・中学校時代はどんな生徒でしたか?> どんな生徒やったかな。活発、野球、スポーツ大好き。じっとするのが苦手。 小学校は野球部でキャプテンを務めたりしていましたが、中学校ではキャプテンは面倒なので他の人間にやらせていました。
<なぜ吉城高校を選んだのですか?> 近いから笑
<なぜ普通科に?> 中学卒業する時には、まだ将来の夢とか何になりたいとか全然わからなかったので、普通科を選びました。 今思うと世界が狭くて、世の中にどんな仕事があるかも知らず、何になれるかわからなかったんでしょうね。勉強ができんかったわけでもないんですけどね。
<高校時代はどんなことを考えて過ごしていましたか?悩みや葛藤はありましたか?> 野球部に所属していたんですが、軟式だったので硬式野球がしたかったですね。 ただ、音楽は好きでした。音楽から思想の世界に入っていきましたね。 そのおかげで公務員というオプションは消えました笑。
<そんな中で庭師を志すきっかけは何だったんですか?> 高校3年生で進路について考えたとき、将来形に残る仕事がしたいと漠然と考えていました。 そんなある日、NHK番組で重森三玲の特集を見たんです。彼は絵描きで茶道家、花道家、庭師と複数の顔を持つ芸術家ですが、彼の作品である東福寺の庭に感銘をうけて、これしかない!と思ったのがきっかけです。
<なぜ飛騨を出て富山を選んだんですか?> 日本には農業大学で造園学科はありますが、造園を専攻出来る大学はありませんでした。
<専門学校での生活について教えてください。> 本当に良い勉強になったし、楽しかったです。 世の中本当に広くて知らんことが多いなとも思いました。
<富山で就職した理由を教え下さい。> 京都に行きたかったんですが、雪吊りがしたかったんです。 特に金沢周辺は文化的に庭にお金をかける土地柄ですし、地元にも近いことから富山の会社に就職し、富山と金沢を中心に働きました。
<富山と金沢で仕事を覚えた中、なぜ独立しようと思ったのですか?> 公共事業やゼネコンの下請けをする毎日に職人を感じられませんでした。
<独立のハードル、悩みはありましたか?> 23歳で結婚していたので、独立した時には、嫁さんと子供もいて、生活を考えると不安でした。一方で、庭師としての腕に自信もついていたし、それ以上に職人をやりたかった。 全ての親戚と嫁や嫁の親戚も反対でした。
<独立して富山での仕事も軌道にのった中、なぜ飛騨に戻る決断をしたのですか?> 両親が飛騨におるのが一つともう一つは飛騨の造園を発展させたいと思ったからです。 誰もせんのなら自分でやるしかないと。
<飛騨に戻ってきて一番の困難は何ですか?> 飛騨にきてからの困難は、知名度のなさですね。 また、独特の田舎の付き合いがありますし、まるで鎖国しているようです。まだその壁を乗り越えられてはいませんが、それを乗り越えるためにはいい仕事をし続けていくしかないと考えています。
<現在の具体的仕事内容と魅力を教えて下さい。> 庭園の管理、剪定、雪吊り等がメインで、庭造りを主にしています。 材料を京都にいって仕入れておろしたりもしています。 魅力は、アートです。地面に絵をかいているようなものです。ハサミ一つで木が変わります。縄一つでも変わります。また、自営業として頑張れば頑張っただけ売上につながるのが面白い。完全系がなく、終わりがないので、楽しいですね。技術が向上するのも身をもって感じます。4月1日から一日も休んでいませんから。
<今後の予定や将来の目標について教えてください> 精神面では現状維持です。仕事では、利益は上げなくても良いので、納得のいく仕事をやり続けたいです。値段以上の仕事でも納得するまでやる。仕事が一番の営業だと思っていますから。自分にしか出来ない仕事をどれだけするかだと思います。実際今のお客さんには、僕の仕事をたまたま見てこれは誰の仕事や?といって紹介されたケースが多いです。 あとは飛騨にいながら京都や海外に日本庭園を造るのも夢です。飛騨に住んでいますが視野は日本・世界を意識して行きたいです。
<最後に飛騨の若者にメッセージをお願いします。> 飛騨市は悲惨な状況で、産業の衰退も激しいです。生まれ育ったところなんやで、死ぬ時もそこで死にたいと思えたらいいんじゃないでしょうか。優秀な人が県外にいってしまいますが、仕事がないのが主な理由です。しかし、甲斐性があれば仕事を作ることだって出来るはずです。そうすれば自分の好きな街で暮らせることが出来ます。 また、社会人になったら学歴は関係ありません。勉強が出来るだけではなく、自分で道を切り開ける人材になって欲しいです。そのためには色々なことに興味を持つと良いと思います。知らないことで損することはたくさんありますが、知っていて損することはありません。自分の進路について悩むことも多いと思いますが、親、兄弟、友達みんなに相談して最後は自分で決めるしかありません。周りに相談出来ない人は、僕にいつでも連絡頂ければと思います。 |