山本泰大

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山本泰大

<プロフィール>

1985年飛騨市生まれ

吉城高校普通科卒業

岐阜県立下呂看護専門学校へ進学

2006年より岐阜県立下呂温泉病院にて看護師として勤務。

 

 

<小・中学校時代はどんな生徒でしたか?>

小学校は野球部に所属して、嫌々でしたが古川ジャガーズで頑張っていました(笑)友達もやってるからやってみようかな・・みたいな部分があったかと思います。

性格は口が達者で明るい方だったと思います。父親の影響で釣りが大好きな少年でした。楽しく過ごしていた記憶しかありません。

中学校からは、自分の中で混沌とし始めた時期です。まず最初に野球を続けるかどうか迷ったんですが、優柔不断だったので、悪友の誘いでテニス部に入ってしまいました。

中学時代は第二の反抗期でもありました。親が再婚ということもあり、色々考えることも多く、親に対して反抗的でした。当然解決するはずもなく、目標もなかったので、勉強もしないまま、漠然と「この先どうなるんやろ?」という不安が常にありました。

 

 

<吉城高校普通科を選んだ理由を教えてください。>

近いからです!(笑)

 

 

<どんな高校時代を過ごしていましたか?悩みや葛藤はありましたか?>

何がしたいかが分からず悩んでいましたね。

親から国公立の大学に行って欲しいと言われていたこともあり、漠然と大学に行ければ良いなとは思っていました。でも何をやりたいかはっきりしてなかった。

そのため、1年生の段階から大学進学に向けてやるべきことはやっておらず、勉強もしてないし、大学も調べてない状態でした。

2年生から何となく医療系の仕事に興味を持ちました。仕事が面白うそうですし、やりがいもあり、食いっぱぐれが無さそうだと思い、調べ始めました。家族に医療関係者がいたわけでもないのですが、なぜか興味がありましたね。同時に2年生から勉強も始め、3年生になる頃には、看護学校に行くと決めていました。他の医療系の仕事も検討しましたが、命の関わるところで仕事がしたいと思い看護師にしました。その方が、自分が責任を持ってやりがいのある仕事ができるし、やるならそういう仕事の方がかっこいいなぐらいの気持ちでした。医者は諸々の理由で目指しませんでした。

 

 

<岐阜県立下呂看護専門学校を選んだ理由について教えてください。>

飛騨を離れて綺麗な街に住みたいと思っていたので、国立金沢病院付属が第一志望でした。

しかし、残念ながら国立金沢病院付属の受験には失敗してしまい、滑り止めで受験した岐阜県立下呂看護専門学校に進学することにしました。下呂は物価も比較的安く、飛騨にも近いので良い選択だと思いました。確か飛騨の看護学校は、受験日がかぶっており、受験出来なかったと記憶しています。

 

 

<岐阜県立下呂看護専門学校に入学してからの生活について聞かせてください。>

岐阜県立下呂看護専門学校は3年制で、1クラス40人ですが、同期で男性は私一人だけでした。最近は男性も増えていますが、当時は少なかったです。それでも周りの協力もあって一人で辛いと感じたことはなかったです。上下の学年合わせて合計8人の男性がいたので、その繋がりもあり寂しくありませんでした。

看護業務に関する学習は、筆記のテストと実習がありますが、実習をしながら人との関わりを通して学ぶことがとても大切です。実習では、実習先の病院で先輩看護師の下で働きます。その過程で医者や看護師と関わることになり、一般的な大学生よりも、非常に速い段階で仮想就職先の社会と触れ合うことになります。少し前まで高校生だったのに、患者から見れば職員と同じという状況のため、実習でつまずく人が非常に多いです。例えば、私の同期には、実習記録が書けない、対人関係(患者、職場)が上手くいかないという理由で、10人程度が学校を辞めてしまいました。

私は、看護師は、向き不向きのある仕事だと思っています。辛い中にも、少しでもやりがいを感じられれば続けても良いですが、実習を通して自分には合わないと思ったら、早く辞めて違う道に進んだ方がいいと考えています。

頑張って卒業しても、実際に働くのと実習とでは全然違うので注意が必要です。実習で学んだことが全ではなく、如何に的確に医師の手術をサポートするかが問われる機械的な仕事もあります。他には意外と事務仕事も多いです。また、医療のジャンルはとても幅広いです。大きく分けて内科、外科がありますが、さらに脳、手、足、内臓等多様です。救急かある程度病状の落ち着いた方を担当するのかでも、仕事内容は全然違います。最近では、退院してからご自宅でのサポートも看護師の仕事として求められており、退院後の計画を立て、いかにご自宅で安らかに患者がすごせるに尽力されている先輩方もたくさんいらっしゃいます。

実際に仕事を始めてからも辞める人もたくさんいます。3年たって卒業してもまだ21歳なので、そこから頑張ってやり直しても私は良いと思います。また進学し保健師/助産師の資格をさらに狙うという違った方面へのステップアップも可能です。

 

 

<就職活動についてお聞かせください。>

人材が足りていない業界なので、行きたい病院に就職できる可能性は比較的高いと思います。地元に帰りたければ帰れますし、都会に行けたければ行けます。大企業のように地方から地方へ転々といったこともないですし、就職の観点からは恵まれていると思います。

 

<なぜ岐阜県立下呂温泉病院を選んだのですか?>

同病院の脳外科に実習に行ったことがきっかけです。

医師も看護師の先輩も尊敬できる人ばかりで、一緒に働きたい、この人達に教えてもらいいつか追いつきたいと思っていました。

具体的には、「田舎の病院でも、田舎だからやれません!ではなく、やれることは全てやって最善を尽くそう!」とう意識に惹かれました。そして、医師と看護師のチームとしての働きが本当に素晴らしかった。元々興味のあった脳外科を希望して採用試験を受けて、実際に同科に配属されました。

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<岐阜県立下呂温泉病院に入ってからのキャリアについてお聞かせ願います。>

最初2年半は脳外科で働きました。脳外科は、主にくも膜下出血、脳梗塞、脳内出血などの脳卒中の患者さんの対応をしました。救急車で運ばれてきて死の危機を乗り越え、さらに障害されてしまった身体機能を補うリハビリを行い、最後は退院を見据えて自宅での過ごし方、社会資源の活用、家族の介護の準備と入院から退院の流れを身を以て学ばせていただいた時期でした。もちろん若くて至らない所がたくさんあったので先生を始め先輩方、患者家族の方にもたくさん迷惑をかけたのではないかと思います。

次の配属は内科で、3年間働きました。内科の患者さんは、心筋梗塞の重症の方もいれば、末期癌の方、糖尿病の方、検査の為の入院の方などと幅広く担当していました。ただ地域がら特殊な治療が必要な方などは大きな病院に転院という事が多く、「この先の治療と看護がどのようになされるのだろう。」と思い、教科書には書いてありますが自分の目で見てみたくなったのもこの時期です。

その後、自ら希望して、岐阜県総合医療センター救命救急センターに出向させてもらいました。同救急センターには、とにかく重症の人、命の危機に瀕する人が搬送されてきます。医者と看護師のチームで対応し、救急車が到着した患者さんを手術して、病状が落ち着いた後に、一般病棟に移すところまでを担当しました。選択を間違えずになおかつ瞬時に判断を下さなければいけないという環境に始め戸惑いましたが、とてもやりがいを持って学べた次期となりました。同救急センターでは2年ほど働きました。

2014年4月から岐阜県立下呂温泉病院に戻り、外来に所属して今に至ります。外来は救急対応、一般外来診察介助等をしています。

 

<現在の仕事の魅力について教えてください。>

現在の仕事の魅力は、人命救助のためにベストを尽くせることです。地域の医療を背負っている感覚は、やりがいがあり、満足度は非常に高いです。

下呂の人口は3万人程度のため、その中で生命の危機に瀕した患者さんが搬送されてくることは多くありません。それでもそういった事態は必ず起きます。都会と比べて、下呂は医者も少ないし、最高の治療を提供出来ないのが現実です。それでも今あるものでベストを尽くすことに、自己満足かもしれませんが、やりがいを感じます。

例えば、心筋梗塞の患者さんは、岐阜大学医学部附属病院に、ヘリコプターで搬送する必要があります。その場合、発作が起きてから治療開始までの時間が短ければ短いほど助かる可能性が高くなります。患者さんを救うためには、下呂病院に運ばれてきた時点で、出来るだけ早く診断し、岐大に搬送することが重要になります。

岐大に搬送された患者さんは、危険な時期が過ぎて助かれば、下呂病院に戻ってきてリハビリをします。その時、本当に良かったと思います。

その他の魅力として挙げるとすれば、週休二日制で休みをちゃんと取れることです。平日休みも取れるので、ディズニーランドも空いてます(笑)

仕事は必ずあるので将来食いっぱぐれることもありませんよ(笑)

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<現在の仕事の大変な事について教えてください。>

個人的には、最初の1年間は本当に辛かったです。大量の仕事を覚えると同時に、人間関係を構築しなければなりませんし、看護学校とは比にならないぐらい勉強をしなければいけません。理想と現実のGAPや、実習で経験した事との違いに苦しみ、また、いままで経験したことのない責任感を求められます。注射一つとっても、最初はその重要性について、身を持って理解できていないんですね。

その結果、1年持たずに退社する人が本当に多いです。でも逆に言うと、1年頑張れたらその後は何とかなると思います。

また、病院によって違いますが、夜勤も大変です。仮眠時間もありますが、実際はそこまで寝られるわけでもなく、体力的には辛いものがあります。この点も実習では分からない点ですね。

対患者さんの対応でも辛いことはあります。特に家族が大変な事態になると、現実を受け入れられない人が多く、「どうなってるんですか!?」と家族が看護師に当たってくることもあります。看護師としては、納得してもらえるように説明するしかありません。比較的落ち着いている家族を探して、その方から説明してもらうこともあります。例えば、不慮の事故の場合、家族の驚きと悲しみと怒りは相当なものになり、それを看護師にぶつけられることもあります。それでも、取り乱さず確実に仕事をこなさなければいけない時にはジレンマを感じる事もありますね。

 

 

<男性看護師特有の辛さや良かったことはありますか?>

最近は男性看護師の数も増えてきており、孤立することもなく、特に男性だから辛いということはないと思います。数が少ないほど色んな方から声をかけてもらえることもあります。

ただ、仕事をして感じるのは、男性と女性では視点が違うということです。女性の方がこまめである事、同時にいくつもの業務を抱えて遂行する能力が高いと感じる一方、客観的に物事を見るのは男性の方が得意とする部分だと思います。この点男性の新人は、最初は苦労するかもしれません。

どちらが良いということではなく、思考経路が違うので、違う見方が出来るところに価値があると思います。色々な見方ができた方が現場にとってプラスになります。そういった違いを生かして発信すれば、周りも必要としてくれるようになり、職場にとって必要な人材になることが出来ると思います。

 

 

<今後の予定や将来の目標について教えてください。>

短期的には現在当院では院内トリアージという救急外来受診患者の重症度緊急度の応じたふりわけの導入を準備していますがこれを軌道に乗せる事です。うまくいけば病院の収益の増加(田舎の病院では切実です・・)と担当する看護師の看護の質を上げる事ができ結果、受診される患者さんの治療の奏功が期待できます。

中長期的には、下呂、岐阜で学んだことを生かして、下呂のみなさんが安心して生活できる様、下呂地区の救急のレベルを上げていくことが目標です。繰り返しになりますが限られた資源と人材の中でなにを行うのかがベストかという選択をスムーズに行えるシステムを作っていけるとよいと思っています。もちろん自分一人、看護師だけ、下呂病院だけ、ではベストの行動をとるには不十分ですから地域全体のなかで調整がとれるような仕事がいずれしたいと思っていますしその準備のためにこれまでの経験1つ1つが欠かせないものになってくると思います。またキャリアアップの資格の取得も目指しております。

ちょっと変な感じもしますが下呂市民の方々が「病院にまた行きたい、行っても良い」と言っていただけるような地域に信頼されるような病院にしていきたいです。

 

 

<最後に飛騨の若者にメッセージをお願いします。>

私からのメッセージは「働き始めたら飲み会の誘いは断るな!!」です。

仕事はコミュニケーションが大事です。飲み会で先輩が管を巻いていることもあるかもしれませんが、その人が何を考えているかが分かるし、相手にも自分が何を考えているか理解してもらう良い機会になります。

飲み会を重ねると、チームの絆も深まり、信頼関係も生まれて、働き易くなります。今まで迷って相談出来なかったことが、すぐに相談出来るようになったり、気軽に話かけることが出来るようになったりすることで、上手に仕事上の問題を解決できるようになります。

一年目は、仕事だと思って飲み会に行くぐらいで良いと思います。最初の一年は特に大変なので、人間関係のストレスが減るだけで働き易さは大きく変わってくるのではないでしょうか。

東京では分かりませんが、少なくとも下呂、岐阜、では飲み会は大事だと感じました。酒好きの飛騨人ならなおさら飲み会に出るべきです(笑)

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